傾聴の誠

おはようございます

徳羊舎の濵田です

 

今日もコヴィーさんの『7つの習慣』を学んでいきましょうね

毎度おなじみ、この図から

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(『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著、キングベアー出版、2020年、327頁)

 

依存から自立への道、それは第一から第三の習慣を通して実現されると

 

それは言い換えれば「自分がどんな人間であるか」ということ

コミュ力とか、人間関係上のテクニックはその後の後くらいでいい

どう振舞うかより、まずどう「在る」か

信頼口座 p.335~340

ビジネスだと「信用」に当たります

 

例えば寄付を募るとか、クラウドファンディングとかする時に、実際にお金が集まるかどうかって、仕掛け人に対する「信用」ともろに比例しますよね

 

例えば、ブログにも書いたけど僕が「ある高校生が健康的な昼食を食べるための支援」を提案したところ(お願いまではしてないかな)、自ら手を挙げてくれた人からの支援だけで2万円集まりました

手を挙げてくれた方で、まだ受け取ってない分があるので、実質2万5千円~3万円くらいでしょうか

他の方々にお願いすればもっと集まります

 

重要なことは、僕を信頼してそのお金を預けてくれた人たちから、僕は「引き出し」を行ってしまったということ

だから、寄付とかクラウドファンディングって「乱発できない」んですよね

つまり、「また信頼口座の残高が貯まるまで」使えない

 

じゃあ、どうやって信頼口座の残高を増やすのか

色々あるんですが、コヴィーさんはまず、

相手を理解しようとすること

話をひたすら聴くことだ

と書いています

 

つまり、本当の意味で「話を真剣に聞くこと」ほど、大きな預け入れはないということです

意見もしない、批判も質問も自分語りもしない

ただただ相手を理解したいと「望み」、燃え盛る炭火のように集中して話を聞く

 

どうでしょう

 

僕、牧師という職業柄、人の話を聴くのって極めて重要な仕事の一つなんですよ

 

たとえば、コロナ禍のために教会に来られないご婦人がいるとしますよね

僕一人がその方のおうちを尋ねるのであれば、感染のリスクは低いわけです

(特に三重県ではね)

 

そこで僕は二週間にいっぺんくらいその後夫人のお宅を訪問するとします

 

ひたすら話を聴きます

「言ってるいること」を理解するのではなく、「言いたいことを直感する」ように猛烈に集中します

(ほとんどの人は意識化の「本音」と無意識化の「叫び」が大きくずれています)

 

「言ってること」に反応してもそれは「本当に伝えたいこと」ではないので堂々巡りになるだけです

 

話はもちろん頭に入ってますが、それよりも「表情や体の動き」を見ています

それで分かるのは、

「嬉しいんだな」

「困ってるんだな」

とかふんわりしたこと

 

言ってるいることに振り回されないと、こっちも疲れません

そう、極度に集中すると「逆に疲れない」んです

 

スポーツでも「ゾーン」(受動的集中)に入った時って、「脳の活動が低下」するらしいんですよ

サッカーで言えば、メッシとかネイマールって他の選手に比べて全然脳が働いていないらしいです

極度にぼーっとして、外から全体を俯瞰してる感じ

 

とはいえ、すでに信頼関係のある友人と話す時なんかは、僕もこの状態を解くわけですよ

特に人の話を聴かない癖のある愛すべき友人もいるので

そういうやつには、

「うるせー、人の話を聴け!!」

と罵声を飛ばしてやりたいと思います

 

でもね、もうそれも疲れるから、常に「ゾーン」でもいいかなって考え始めてるんですよ

脳が疲れるのって一番嫌いなことの一つだから

 

友に対しても、家族に対しても、妻に対しても

 

結果としてそれが「預け入れ」にはなるんですけど、本当はね、預け入れを増やすのが目的なんじゃなくて、「ただ理解したい」っていうのが全てなんですよ

ウソじゃないよ

人の話を聴くのが単に好きというのもあるけど

 

ほんじゃまた!!