クソガキの眼差し

徳羊舎の濵田です

 

かなり若い頃にウイスキーを飲みまくって、吐きまくって、そのまま兄(長男)のアパートに泊まりに行きました

 

翌朝、優しい兄ちゃんは、仕事に行く前にこれでメシ食えよと静かに千円札を置いていってくれた

 

何とか目を覚ました青年(少年?)濵田は、飢えていました

たぶん、生まれてこの方経験したことがないほどに

 

腹が減りすぎて膝がガクガク

子羊のようにふらふら歩きながら「ほっかほっか亭」(現ホットモット)に到着

何も考えずに唐揚げ弁当を注文

 

死ぬほどうまい…

母ちゃんに申し訳ないような気もしますが、あの唐揚げ弁当が、濵田の人生で一番おいしかった食べ物です

 

金額としては600円くらいだったかもしれませんが、濵田の人生にとっては余裕で三万円くらいの価値がありました

 

ということで、今日は「物・作品の価値」について考えてみたいと思います

家具職人の父

濵田の実家には乾燥中の木材が文字通り山のように積まれています

家具を作るには2~3年(?)材料を乾燥させます

ほぼ完全に乾燥させないと、後から変形したりひび割れたりしてしまうからです

 

父が仕入れた木、その時点では「家具になれる」という価値しかありません

(たぶん)

そこから父の労働・加工を通して、価格数万円のイスになったりすると

色々な価値

父の家具は堅牢なので、一生使えます

下手すると世代をまたいで使えます

あと「使用感」ですかね

父の作品独特の暖か味や芸術性があります

 

「使用価値」という経済学用語がありますけど、たぶん「使う人にとっての価値」と考えていいのかな?

同じ物でも人によってまちまち」ですよね

濵田にとってのあの唐揚げ弁当、三万円相当の価値があったように

 

一方で「市場価値」というものも存在します

ざっくり言えば、競りとか市場(いちば)に出した時につく「値段」ですよね

そっちは多少上下変化はしますが、600円の唐揚げ弁当が急に三万円になったりはしない

 

どうも話がとっ散らかってきましたね

そう、価値の問題は、

突き詰めるとややこしい…

ということなのです

(本当は説明しきれなかっただけだよね)

絶対的価値

これは濵田が勝手に使っている言葉です

 

例えばジャズだと、サッチモチャーリー・パーカービリー・ホリデイ

ブルースならロバート・ジョンソン

ロックならレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン等々

彼らの生み出す音楽には、

比較を超えた美しさ

があると思うんですよ

これを濵田は「絶対的価値」と呼びます

 

小さい子どもに肩書とか、ブランド、実績ってまったく通用しないですよね

その人の「人間そのもの」を見られてしまいます

 

何を言いたいのかというと、濵田は、

クソガキの目」でしか、人や物や価値を見ることができないクソガキだということです

 

濵田がじっくり目や耳を凝らしている時には、目の前にクソガキがいると思ってください

ハロルド作石

バンド漫画「BECK」で知られています

初連載は「ゴリラーマン」かな?

 

ハロルド作石って最初から上手いタイプの漫画家じゃないんですよ

進撃の巨人」とか「岳」の作者は最初から上手いですけど

(それはそれで大好き)

 

絵も下手だし、無駄が多いし、何より「構成」が下手!!

伏線とかの回収に至っては超下手ですね

 

でもね、「なんか心を打つ」んですよ

何かが琴線に触れるんですよ

 

で、現在のハロルド作石はどうかというと…

めっちゃ上手いです(笑)

というか上手くなり続けています

伸びしろが無尽蔵です

 

「絶対的価値」を追求し続けると、下手で未完成な内に作品を出さざるを得ないと思うんです

なぜなら、上手くなるために割くコストなど彼らには存在しないから

絶対的に美しいものを生み出そうともがき続けることしかできない

 

で、結果的に「誰よりも上手く」なります(笑)

晩年になってからかもしれませんが

 

濵田が「ものになるか」は全く未知数ですが、抗い続け、もがき続けていくことだけは確かです

 

自分語りしすぎましたね

 

それではまた!!

今日も頑張って働きますか

 

<追伸>

つまり、濵田がこのゴミみたいにくだらない一生をかけてやろうとしていることは、

「一度きり、自分ではない『たった一人の誰か』に、三万円の価値がある唐揚げ弁当を作ること」

です

 

三万円の市場価値があるおせち料理は、 jam とゆうこうに任せます

 

おせちに関しては、濵田、早々に辞退させていただきますので、その辺の役割分担よろしくな!!