芸術の主題は一つしか存在しない

ちょっとだけ時間ができたので、ブログの更新をば

 

徳羊舎の濵田です

 

超一級の文学を生み出しつつ、世間的にも成功した「珍しい」作家として、

村上春樹がいます

 

彼が仕事のロールモデル(仕事における成長のお手本)としたのが、ジャズミュージシャンのマイルス・デイヴィスです

 

マイルスはモダンジャズの中心的人物であり、彼の残した作品は今でも全く色あせていません

加えて、彼は当時社会的に地位のやたら低かったジャズという音楽と、ジャズミュージシャンを、卓越したバンドマネジメントと圧倒的な作品によって、世間に認めさせました

 

マイルスと言えば、モダンのジャズの中で様々なジャンルを生み出した人として知られています

クール、ハードバップ

(その他にも色々あった気はするけど…)

 

新しいことをやる人は結構いたんですけど、マイルスが飛びぬけているのは、それぞれのジャンルで最高のものを生み出したってことですね

超一流の仕事をしました

でも、そのジャンルを煮詰めてしまったら、あっさりと次のジャンルへという感じのことをやり続けました

 

村上春樹の作品というのは、作品自体が素晴らしいのは当然ですが、

「著者の前進がはっきり追える」

ことが大きな特徴だと思います

作品を超えたところにもストーリーが存在してるんですね

 

彼の作品、初期は主語が「僕」です

段々と「あなた」の視点が入ってきます

最終的には「彼、彼女」のことを語れる大きな小説(総合小説と言っておきましょうか)になっていきます

マイルスと似ていますね

手本にしているから当然ですが

 

でもね、その成長とか前進が簡単に見て取れるのは、

『1Q84』までです

 

それ以降の作品、面白いんですが、僕は個人的にそれ以前の作品ほど愛せません

何かが壊れてしまったとしか思えません

あるいはさすがの村上春樹ですら輝きを失うときが来るのだろうかなんて考えたりもしました

 

関係あるのかないのかは分かりませんが、『1Q84』と次の作品の間に起こった歴史的出来事は、東日本大震災でした

阪神淡路大震災にあれほど魂を揺さぶられた村上春樹に、何の変化もなかったとは思えません

 

邪推かもしれませんが、彼は敢えて、

「自分の文学そのものを破壊」

してしまったようにすら見えます

 

それが多少なりとも当たっているのであれば、その行為は作家としての彼のけじめだったのかもしれません

自分のしてきた仕事はいったい何だったんだろうかと

 

積み上げてきたすべてを破壊することでしか、もう一度書くことはできない、ということだったんでしょうか

 

村上春樹東日本大震災と自分の作品の関係について何も語ろうとしません

(少なくとも僕は把握していない)

だから、結局は何も分からないんです

 

でも、『1Q84』以降の作品を読んでいると、何かチクチクと痛いのです

村上春樹がつまらなくなってしまったということではなくて、

「何かが根本的に失われてしまった」

ということを作品の破綻そのものが表現してしまっているからです

 

でもね、「根本的に失われてしまったもの」(=死者)と生者が紡ぎだす物語こそが、文学の命です

 

そういった意味で、村上春樹作品の内容を超えたところで、文学を新しく始めたのかもしれませんね

 

今日は僕の大好きな小説の話でした

 

また明日、おやすみなさい

クソガキの眼差し

徳羊舎の濵田です

 

かなり若い頃にウイスキーを飲みまくって、吐きまくって、そのまま兄(長男)のアパートに泊まりに行きました

 

翌朝、優しい兄ちゃんは、仕事に行く前にこれでメシ食えよと静かに千円札を置いていってくれた

 

何とか目を覚ました青年(少年?)濵田は、飢えていました

たぶん、生まれてこの方経験したことがないほどに

 

腹が減りすぎて膝がガクガク

子羊のようにふらふら歩きながら「ほっかほっか亭」(現ホットモット)に到着

何も考えずに唐揚げ弁当を注文

 

死ぬほどうまい…

母ちゃんに申し訳ないような気もしますが、あの唐揚げ弁当が、濵田の人生で一番おいしかった食べ物です

 

金額としては600円くらいだったかもしれませんが、濵田の人生にとっては余裕で三万円くらいの価値がありました

 

ということで、今日は「物・作品の価値」について考えてみたいと思います

家具職人の父

濵田の実家には乾燥中の木材が文字通り山のように積まれています

家具を作るには2~3年(?)材料を乾燥させます

ほぼ完全に乾燥させないと、後から変形したりひび割れたりしてしまうからです

 

父が仕入れた木、その時点では「家具になれる」という価値しかありません

(たぶん)

そこから父の労働・加工を通して、価格数万円のイスになったりすると

色々な価値

父の家具は堅牢なので、一生使えます

下手すると世代をまたいで使えます

あと「使用感」ですかね

父の作品独特の暖か味や芸術性があります

 

「使用価値」という経済学用語がありますけど、たぶん「使う人にとっての価値」と考えていいのかな?

同じ物でも人によってまちまち」ですよね

濵田にとってのあの唐揚げ弁当、三万円相当の価値があったように

 

一方で「市場価値」というものも存在します

ざっくり言えば、競りとか市場(いちば)に出した時につく「値段」ですよね

そっちは多少上下変化はしますが、600円の唐揚げ弁当が急に三万円になったりはしない

 

どうも話がとっ散らかってきましたね

そう、価値の問題は、

突き詰めるとややこしい…

ということなのです

(本当は説明しきれなかっただけだよね)

絶対的価値

これは濵田が勝手に使っている言葉です

 

例えばジャズだと、サッチモチャーリー・パーカービリー・ホリデイ

ブルースならロバート・ジョンソン

ロックならレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン等々

彼らの生み出す音楽には、

比較を超えた美しさ

があると思うんですよ

これを濵田は「絶対的価値」と呼びます

 

小さい子どもに肩書とか、ブランド、実績ってまったく通用しないですよね

その人の「人間そのもの」を見られてしまいます

 

何を言いたいのかというと、濵田は、

クソガキの目」でしか、人や物や価値を見ることができないクソガキだということです

 

濵田がじっくり目や耳を凝らしている時には、目の前にクソガキがいると思ってください

ハロルド作石

バンド漫画「BECK」で知られています

初連載は「ゴリラーマン」かな?

 

ハロルド作石って最初から上手いタイプの漫画家じゃないんですよ

進撃の巨人」とか「岳」の作者は最初から上手いですけど

(それはそれで大好き)

 

絵も下手だし、無駄が多いし、何より「構成」が下手!!

伏線とかの回収に至っては超下手ですね

 

でもね、「なんか心を打つ」んですよ

何かが琴線に触れるんですよ

 

で、現在のハロルド作石はどうかというと…

めっちゃ上手いです(笑)

というか上手くなり続けています

伸びしろが無尽蔵です

 

「絶対的価値」を追求し続けると、下手で未完成な内に作品を出さざるを得ないと思うんです

なぜなら、上手くなるために割くコストなど彼らには存在しないから

絶対的に美しいものを生み出そうともがき続けることしかできない

 

で、結果的に「誰よりも上手く」なります(笑)

晩年になってからかもしれませんが

 

濵田が「ものになるか」は全く未知数ですが、抗い続け、もがき続けていくことだけは確かです

 

自分語りしすぎましたね

 

それではまた!!

今日も頑張って働きますか

 

<追伸>

つまり、濵田がこのゴミみたいにくだらない一生をかけてやろうとしていることは、

「一度きり、自分ではない『たった一人の誰か』に、三万円の価値がある唐揚げ弁当を作ること」

です

 

三万円の市場価値があるおせち料理は、 jam とゆうこうに任せます

 

おせちに関しては、濵田、早々に辞退させていただきますので、その辺の役割分担よろしくな!!

徳羊舎の現在地

徳羊舎の濵田です

 

今日はタイトルにある通り、「徳羊舎の現在地」について書いてみたいと思います

そもそも

「徳羊舎」は jam(佐藤建徳)と僕が、

「金浦(秋田県の)で面白くてかっこいいことやっていこう」みたいなノリで結成したものです

しんごくん、ゆうこう、とおるも動いてくれるでしょう

 

はっきり言ってまだ何も始まっていません

前史、エピソード0が現在地です

 

将来的に徳羊舎が会社になるのか、個人事業主としてお互いゆる~く協力していくのかもまだ分かりません

 

いずれにせよ、濵田はじいさんになった時に、jam と一緒に猟銃を持って雪が少し残る山に立てていればそれでいいやと思っています

その風景は何となく想像できるし、実現するだろうと思います

濵田は今?

迷走していましたが、エピソードゼロ期間の方向性は定まってきました

まずは本業

濵田は牧師です

何者にもなりたくないし、何の結果も残したくないし、空気のように生き、働いていきたいです

家族と仲間たちと静かにひっそりと暮らしていければそれでいい

 

ただ、「実績」がないと、jamとかゆうこうが苦労するんですよね

 

そこで、「狙ってないけど結果として実績が伴ってしまう」パターンで行こうと思います

(たぶん得意なやり方、というか性分としてそれしかできない…)

 

濵田の大学時代の成績はほぼ常にトップでしたが、それは「結果」を狙ってたわけではありません

病気で休学してなかったら余裕で首席の卒業だったと思います

「ひたすらに好きなことを熱狂的に勉強」していたので、「成績」なんて嫌でもついてくるわけです

(でも成績も点数もどうでもよかったんです、好きなこと勉強して卒業できるんなら)

  

だから、本業の牧師でも、ひたすら自分の偏愛対象に没頭していきたいと思います

フットサル

もと近所のフットサル選手(今は指導者?)、寺家と色々準備しています

コロナでメインの事業(フットサルクリニック、個人参加フットサル)が完全に封じられているのが痛いですが、今だからこそできることに邁進していきますよ

(今月中にプロサッカー選手のインタビューを行う予定)

サウナ

毎日サウナに入ってます

主に自宅の庭のテントサウナで

 

ゆうこうがサウナイベントのヴィジョンを持ってるので、実行するときに「サウナー」(サウナバカ)として少しは役に立てるかと思います

テントサウナを極めようとしているので

(薪とか水とかその他いろいろ)

 

あとは、日々サウナ仲間が少しずつ増えていっています

加えて色んなサウナに行ったり、イベントにスタッフとして参加したりして、サウナのノウハウを蓄積中です

 

これも後々効いてくるでしょう

教育

毎日のように高校生たちと遊び、勉強をしています

人が育っていくこと、変わっていくことについて日々考えています

そう、傍観者です

jam

飲食関係の仕事なんで大変だと思います

 

あいつはネットを含め情報発信を、

必ず自分のブランドに貢献する形でします

(しっかり作り込み、自分が納得できるものを発信する)

常にブランディングしてるんですよね

 

だから、「徳羊舎」の名前を使って僕に勝手な発信をされると結構困る思うんですよ

 

濵田はようやく長い「焦りモード」から脱却したようですから、jam のブランドにも配慮しつつ発信をしていこうと思っています

 

あと、「狙わずに実績を伴わせる」って話とも関連するんですが、あいつには jam というブランドがあるんだから、僕も boxy(適当) というブランドを練り上げておかないとなと

(結果として練りあがってしまう感じで、頑固に狙わない、もはや意地)

ともかく

上に挙げたことについて、影響の輪が関心に接しているところにコツコツと一つずつ取り組んでいくだけですね

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今はまだエピソードゼロ、しばらく続くでしょう

どんなスタートを切れるか楽しみです

 

ああ、最後にですね、やっぱり僕自身も一応自立した職業人でもあるので、

一人でもやるよ」のスタンスは常に持っておきます

というか、もともと一人でやるつもりだったし

これは自分に対する掟

 

それではよい一週間を!!

失敗していいならたいしたやる気は出ない

徳羊舎の濵田です

 

フットサル選手寺家(↓)のヴェルデラッソ松阪からの退団が決まりました

twitter.com

今後は同チームのコーチングスタッフとして残ることとなります

あいつのフットサルへの取り組みを間近で見ていたので、もう少し選手としての姿を見たかった気持ちもありますが、決まったことは決まったこと

一歩一歩をまた新しく重ねていくだけですな!!

寺家の教え子

寺家はフットサルの指導者もやってきました

教え子の中に「末光幸太選手」がいます

現在、マルタのサッカー二部リーグの "St. George's FC" で活躍中

チームとプロ契約を交わしています

 インタビューさせていただきます

ええ、寺家と僕の二人で

インタビュー経験なんて二人ともないのがもう恐怖ですね

コケれないんで

プロの顔に泥を塗るわけにいかないんで

背水の陣!!みたいな気持ちで臨もうと思います

 

zoomでのインタビューになりますけど、録画してYoutubeにアップする予定です

ありがたいこと

これまで寺家と色んなことを進めてきましたが、二人でやることとして、

「コケることを許されない仕事」は、初めてになります

 

これまでは頑張れば頑張るだけリターンがあるような仕事だったので

 

まあコケるってのはあれですね、

  • インタビュー自体がつまらない
  • さらにやり取りもつまらない
  • 動画全体に覇気がない
  • インタビューの起承転結というか感情曲線がデザインされていない
  • とにかく動画編集が適当
  • サムネイル(動画紹介の画像)が適当
  • うちわノリ

どれか一つでもやったらコケるなと

まあ地雷を避けるだけなら、大成功を狙うよりはるかに簡単な気がしますが

 

「バズらせる」(ネットで爆発的に流行らせる)なんて初めから寺家と僕には無理なので、

末光選手が気持ちよくシェアできるインタビュー動画」を作ることが最低ラインかなと

さらにそこにいくつか積み上げて良い物が作れるかどうか、それは僕と寺家のこれからの取り組み次第です

 

寺家、ガンバローな!!

まだまだ準備することはたくさんあるぞ!!

 

それではまた!!

 

表現の基礎工事

体調崩してましたがだいぶ回復しました

ブログ更新お休みしてしまい申し訳ないです

徳羊舎の濵田です

(もうけっこう元気だよ!!)

 

今日は「個性」とか、「自分だけの表現」について書きたいと思います

修士論文

濵田の修士論文(大学院の卒論みたいな)は「聖書の研究」でした

ということは、聖書箇所が決まってきます

 

まず指導教授から命じられることは「参考文献リスト」の作成

論文に引用したり参考にする文献をリストアップすると

 

全世界…

過去三十年分だったか、五十年分だったかは忘れました

最低でも三十年分はすべてチェックしたはずです

 

どうやって調べるのって話なんですけど、恐ろしい量の「論文目録」というものがありまして

それこそ、登録されたものであれば学生が書いた論文まで世界中のものが列挙されてるわけです

(しかも英文で…もう辞書みたいな大きさの本が何十冊と…)

 

そこに有難いことに英語で論文の「要旨」(まとめ)が書かれています

それをさっと読んで自分の参考文献に加えていくと

批判という作業

僕には選んだ「聖書の箇所」があります

でも箇所「だけ」を選んだわけじゃないんですね

もう「主題」を設定しているわけです

「ユーモア」でした

 

この場合、「この箇所に本当にユーモアなんかある??」という話から始まってしまうから厄介です

そこで集めた論文集を片っ端から読んで、自分の「仮説」が少しでも当たっているのか検証していきます

無難なテーマ設定をした仲間たちと違って、「やっぱユーモアなんかなかったっすね!!」という結論に終わる可能性も秘めた作業になりました

 

論文を読む際には、勉強させていただきつつも、根拠が弱いところなどは指摘します

さらにその論文を「彫刻刀」に見立てて、自分の論文の弱いところを論破され、削ってもらいます

 

「それでも残ったもの」、世界中の研究者たちの批判を受け入れて、それでも残ったものが、「僕だけの主張」となります

基礎工事がなっていないと話にならん

いくらテーマの設定にセンスがあっても、着想が面白くても、

過去の猛者たちの「論文を読んで」、「それを乗り越えていなければ」何の意味もありません

当然、誰にも相手にされません

自分の出しどころ

「自分だけの表現」を世に出すためには、大変な基礎工事を要する分野の方がたぶん多いと思います

 

一方で、最初から「自分」を出して、それを尖らせていく分野もある

ロックとかパンクとかはそうだと思います

ピストルズ(パンクバンド)なんか売れてからもめちゃくちゃ下手くそですからね

どちらか判断する

仮に生来+後天的に持ち合わせている「個性」をポテンシャル

基礎工事の確かさを「クオリティ」と表現するとしましょう

(個性も伴わないと本当のクオリティとは呼べませんが、あくまで「仮に」…)

 

教育なんかはポテンシャル寄りだと思うし

多くの仕事はクオリティ寄りだと思います

 

今はポテンシャルで勝負していい時と場なのか

それとも最低限以上のクオリティを要求される場なのか

 

大抵はクオリティだと思って差し支えなさそうな気がします

ただ、まれにポテンシャルで勝負できる場もあると

 

それを判断しながらになりますけど、

やっぱり僕は「個」にこだわり続けたいな~

なんて思った今日でした

 

それではまた!!