表現の基礎工事
体調崩してましたがだいぶ回復しました
ブログ更新お休みしてしまい申し訳ないです
徳羊舎の濵田です
(もうけっこう元気だよ!!)
今日は「個性」とか、「自分だけの表現」について書きたいと思います
修士論文
濵田の修士論文(大学院の卒論みたいな)は「聖書の研究」でした
ということは、聖書箇所が決まってきます
まず指導教授から命じられることは「参考文献リスト」の作成
論文に引用したり参考にする文献をリストアップすると
全世界…
過去三十年分だったか、五十年分だったかは忘れました
最低でも三十年分はすべてチェックしたはずです
どうやって調べるのって話なんですけど、恐ろしい量の「論文目録」というものがありまして
それこそ、登録されたものであれば学生が書いた論文まで世界中のものが列挙されてるわけです
(しかも英文で…もう辞書みたいな大きさの本が何十冊と…)
そこに有難いことに英語で論文の「要旨」(まとめ)が書かれています
それをさっと読んで自分の参考文献に加えていくと
批判という作業
僕には選んだ「聖書の箇所」があります
でも箇所「だけ」を選んだわけじゃないんですね
もう「主題」を設定しているわけです
「ユーモア」でした
この場合、「この箇所に本当にユーモアなんかある??」という話から始まってしまうから厄介です
そこで集めた論文集を片っ端から読んで、自分の「仮説」が少しでも当たっているのか検証していきます
無難なテーマ設定をした仲間たちと違って、「やっぱユーモアなんかなかったっすね!!」という結論に終わる可能性も秘めた作業になりました
論文を読む際には、勉強させていただきつつも、根拠が弱いところなどは指摘します
さらにその論文を「彫刻刀」に見立てて、自分の論文の弱いところを論破され、削ってもらいます
「それでも残ったもの」、世界中の研究者たちの批判を受け入れて、それでも残ったものが、「僕だけの主張」となります
基礎工事がなっていないと話にならん
いくらテーマの設定にセンスがあっても、着想が面白くても、
過去の猛者たちの「論文を読んで」、「それを乗り越えていなければ」何の意味もありません
当然、誰にも相手にされません
自分の出しどころ
「自分だけの表現」を世に出すためには、大変な基礎工事を要する分野の方がたぶん多いと思います
一方で、最初から「自分」を出して、それを尖らせていく分野もある
ロックとかパンクとかはそうだと思います
ピストルズ(パンクバンド)なんか売れてからもめちゃくちゃ下手くそですからね
どちらか判断する
仮に生来+後天的に持ち合わせている「個性」をポテンシャル
基礎工事の確かさを「クオリティ」と表現するとしましょう
(個性も伴わないと本当のクオリティとは呼べませんが、あくまで「仮に」…)
教育なんかはポテンシャル寄りだと思うし
多くの仕事はクオリティ寄りだと思います
今はポテンシャルで勝負していい時と場なのか
それとも最低限以上のクオリティを要求される場なのか
大抵はクオリティだと思って差し支えなさそうな気がします
ただ、まれにポテンシャルで勝負できる場もあると
それを判断しながらになりますけど、
やっぱり僕は「個」にこだわり続けたいな~
なんて思った今日でした
それではまた!!