挑戦に飢えていた

徳羊舎の濵田です

 

僕が牧師をさせていただいている「教会」というものの現状を書いてみます

牧師が倒れていく時代

牧師のストレスってのは、洗礼を受けて信者になる人が一人出てくれば「ほぼ全部吹っ飛びます」

つまり、相殺されるわけです

 

戦後キリスト教ブームの時代の牧師たちはだから頑張れた

今の時代の牧師たちは、過酷な労働環境(感情労働がえぐい…)にありながら、ストレスを相殺する機会を与えられていません

頑張っても一向に人が来ないからです

 

でもそれだけじゃないと思う

教会がもともと

挑戦が許されない構造

になっているんです

 

挑戦できないということは、モチベーションを保つのが難しくなってしまうということ

それこそ、信仰とかその人のマインドの話になってしまいます

 

詳しく言うと、牧師や教会がいろんなことに挑戦していた時代もあるんですよ

信者が増えていた時代

つまり、負債も援助もゼロの状態で毎年「黒字」を叩き出していた時代です

 

多くの場合は、黒字分を「特別会計」に繰り入れて、その予算で挑戦が許されたと

建付けを変えちゃおう

そもそも、「純粋な黒字が出ないと挑戦ができない」ってめちゃくちゃハードル高くありません??

商売してるわけでもないのに

 

会社だって普通に融資受けて挑戦するでしょ

まあ教会は会社じゃないんだけど

 

まあ、簡単に言うと、

赤字出してても挑戦できる仕組み」を作っちゃおうってことになります

もちろんこれは黒字の教会にもガンガン転用できます

 

その具体的な方法についてはまたそのうち書きましょう

(ごめん、書かないかも…時機を見てっす)

挑戦 チャレンジって??

今でもいろんな牧師がいろんな挑戦をしてると思うんですよ

ただし、「予算のほとんどいらないもの

 

僕が言ってるのは、きちんと予算を確保したチャレンジのことです

 

前の日曜日に教会の役員さんたちに今日話したようなことを伝えました

「挑戦できないことって苦しいですよね」

「なんかワクワクしてきました」

との声がありましたよ

 

僕も意外だったのですが、齢70歳を超える方々ですら、

挑戦に飢えていた

んですね…

 

意外だけど、嬉しい意外だった

全然詳しいこと書いてないけど、今日はこんくらいにしときます

 

またね!!