みんな自分語りが大好き

徳羊舎の濵田です

 

今日は『7つの習慣』、第3の習慣「まず理解に徹し、理解される」の3回目ですよ!!

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まず理解に徹し、そして理解される p.440~496

共感によるコミュニケーションの原則 p.442~495 

処方する前に診断する p.458~462

「賢い親なら、子どもを評価したり判断したりする前に、まず子どもを理解しようとするだろう。正しい判断をするための鍵は、まず理解することである。最初に判断してしまうと、その人をきちんと理解することは決してできない。」

(『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著、キングベアー出版、2020年、461頁) 

 相手の話の途中で、

「いやそうじゃなくて」

を連発する人をたまに見ます

 

「あなたは誤解している」という「判断」をしてしまってますよね

しかも相手の話を中断させてまで…

 

医者だって診断が間違っていたら、処方を間違います

副作用のない薬はないと言われるくらいだから大変なことですよね

 

でも僕らはやぶ医者並みに適当な診断で、いい加減な処方箋を渡してしまうことがよくあるんだと思います

 

例えば「こうしたらいいんじゃない?」という処方箋を出す際には、正確無比な「診断」が必要になってきます

薬に副作用があるように、助言という処方箋にも副作用がある

最悪の場合、絶望を与え死に至らせることすらあります

4つの自叙伝的反応

以下にコヴィーさんが挙げているものは、「これをやると診断も処方も間違います」という例です

  • 評価する
  • 探る
  • 助言する
  • 解釈する
評価する

これはある幼稚園の先生が書いた本から学んだことなんですが、子どもに対して「評価しない」ようにしています

つまり、「褒めもけなしもしない」ということです

 

褒めてばかりいると子どもは「褒められるために行動」するようになり、「人の評価」を価値基準に行動するようになってしまいます

主体性も失われます

 

逆にけなされてばかりいても、萎縮して「けなされないための行動」をするようになり、同じように「周囲の顔色ばかり窺う」ようになってしまいます

 

そこでどうするのかというと、「自分の主観」を伝えます

ポジティブなときは「感動」を

ネガティブなときは「悲しみ」を

 

例えばうちに遊びに来ている高校生のギターがすごく上達したとします

その場合、

「上手くなったな」

ではなく

「お前スゲーな!!」

と主観や感動を伝えます

 

もし、僕がどうしても看過できない発言をした場合は、

「それは違う」

という評価ではなく、

「俺は悲しい」

と伝えます

 

とはいえ、傾聴に徹底する場合、主観や感動を伝えるのも控えます

(言葉にしなくても心動かされて話を聴いていることは伝わりますし)

評価してしまうのは論外

 

とにかく、「評価」してしまうと相手の心は閉じます

探る

まず傾聴に徹する場合、基本的に「質問自体」控えた方がいいと思います

質問できるようになるのは、相手がそれを求めた場合と、心を開き始めたとき

 

なんで探るのがよくないかというと、「探る」って「自分語り(自叙伝)の準備」だからだと思うんですよ

自分が語りたいことの証拠を探しているというか

もう刑事ですよね

尋問

自分を告発しようとしている人に対して相手が心を開くはずもない

 

なので、「探らない」

助言

助言が多くの場合無益などころか有害なのは、「診断」が済んでいないからでしょうね

僕らは最初から「間違った処方箋」を渡そうとうずうずしているので

 

前にも書きましたが、ほとんどの人の話において、「語っていることと伝えたいこと」は大きくずれています

 

だから探りながら言質を取って助言しても意味がない

そもそも言いたいことは言っていることとはずれているので

 

ただ相手が助言を求めて来た時は別です

その時はすでに心を開き始めてますから助言も響いたりします

ただし、「自分語り」(自叙伝)しちゃうとまた心の扉ぴしゃりと閉じられますよ(笑)

 

後は相手が求めなくても、十分心を開いている場合には助言もありと

ただ、心は普通「閉じたり開いたり」するので、閉じてしまったらまた聴くことに徹すると

解釈する

これは濵田がもっとも耳を痛くする箇所です

 

濵田はうちに来ている高校生の「嘘」を結構よく見抜きます

ウソを見抜くだけじゃなくて、僕がいないところで僕について何と言っているのかばっちり当てたりします

エスパーですか!!って言われます…)

話してればそのくらいは「解釈と直感」で分かるわけです

 

解釈されたり見抜かれちゃうってわかったら何にもしゃべりたくなくなりますよね…

 

厄介なのはその解釈が結構当たっているってことなんですよね

(そもそも間違っている場合もあると思いますが)

解釈自体は間違っていない

でも、それを「口にすることは間違っている」あるいは「効果的ではない」場合がほとんどだと思うんです

 

話を聴く場合、大切なのは「真相や事実」よりも「相手が伝えたいこと」だと思うんです

(それ以外の場合はもちろん事実が超重要ですが)

「言っていることと伝えたいこと」はほぼ100パーセントずれているので、伝えたいことをひたすら受け止めようとします

 

大抵の場合、それはシンプルで、

「どうしていいかわからない」

「つらい」

「さみしい」

とか心の叫びなことがほとんどな気がします

 

それではまた!!