傾聴における無知の知

徳羊舎の濵田です

 

『7つの習慣』も第5の習慣に入りまして、今日はその第2回です

今日は少し耳の痛い話になるかも…

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まず理解に徹し、そして理解される p.440~496

共感によるコミュニケーションの原則 p.442~495 

共感による傾聴 p.448~458

「ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているかのどちらかなのである。すべての物事を自分のパラダイム*のフィルターを通し、自分のそれまでの経験、いわば自叙伝(自分の経験に照らし合わせ)を相手の経験に重ね合わせて理解したつもりになっている。」

(『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著、キングベアー出版、2020年、448-449頁) 

*パラダイム」とは、「天動説」や「地動説」のように、世界を理解するための思考の地図のこと。人によって異なる。「地動説」を唱えたコペルニクスが吊し上げられたように、人のパラダイムは容易に変わることがない。

 

「共感とは、相手の視点に立ってみることである。相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることである。それによって、相手のパラダイム、相手の気持ちを理解することである。」

(『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著、キングベアー出版、2020年、452頁)

 一つ目の文章に身に覚えのない人はない人は少ないと思います

僕自身も集中して人の話を聴いているとき以外はそうです

 

話を徹底して聴く前に「自分の経験」(自叙伝)を話してしまうことは、あまりいい手ではありません

(ただし相手が自分の経験を話して欲しいと言ってきた時はむしろ有益)

 

今の若い子たちは相当「タフな世界」に生きています

異性と交際すると冷やかされ、相手を小突いた程度で先生に密告される

「『静かにして!!』って言葉はきついから、みんなで『静かにしようよ』って言うことにしようよ」とか言い出す輩がいたと、高校生に聴きました

(その割にLINEのグループで陰湿ないじめが横行していたり…)

控えめに言っても、反吐が出そうです

 

中学校、高校から「不良」というものはほとんど駆逐されました

行儀がよくて、器用で、長いものに巻かれる連中に干されるんです

グレることすら許されない窮屈で気持ち悪い世界に若い子たちは生きています

 

そんな彼らに、

「あんたらは私らの頃に比べたら恵まれとるで」なんて年長者が言った場合、

「ぴしゃり」と子どもたちの心が閉じる音が聴こえます

 

むしろぬるま湯で生きることができたのは、僕らの方じゃないでしょうか

もっと自由に生きることができました

反抗も犯罪に至らない程度であれば許容されていました

彼らが生きていた世界よりずっと楽でした

特に劣等生にとっては

 

彼らが生きている残酷な世界の話を聴くと彼らに敬意を払わずにはいられません

「よくそんなしんどい世界で生き残ってくれたな」という風に

 

「共感」とは「その気持ちわかるよ~」と同意・同情することではなく、「マジか~」と心を動かされることに近いと思うんですよ

 

そのために決定的に邪魔になるものがあります

「全能感」です

無知の知」の反対ですね

神様じゃないんだから自分ごときが相手のことなんか完全に理解できるはずもない

だから「想像力」、イマジネーションが決定的に重要になってくるんじゃないでしょうか

 

「全能感」に侵されている人に「想像力」は必要ありません

「自分は知っている、理解できている」と勘違いしているからです

想像する必要がない

 

「全能感」に侵されている人に共通しているのは、「コンプレックスと承認欲求」であるという印象を受けます

自信がないので、自分で自分を肯定するしかない

そこでガラクタの「全能感」を生み出す

何とかそれで自分を保つことができる

 

だから、「共感」は難しい

「全能感」を手放すということは、自分を守る鎧を脱ぎ捨てて、肌にやすりを当てるようなことだからです

 

「共感」には「堅牢な人格」が必要とされます

「相手に心を動かされる」ということは、アンパンマンが自分の顔の一部をちぎり渡すのと一緒で、相当にタフな営みです

全能感に頼っているような脆弱な人格に耐え得ることではありません

 

「傾聴」するということは、「まず自分が心動かされる」ということであり、残酷な言い方をすれば、「まず自分がダメージを受ける」ということでもあります

 

悲しいかな、人は人の時間を奪ったり、疲れさせたり、傷つけたりすることでしか相手を信用できないのかもしれませんね

逆に言えば、自分の時間、労力、心を惜しまず差し出す人を、人は信用したいと思うのではないでしょうか

 

「傾聴する」ってそんなことだと思います

 

それでも聴き手の犠牲に気づかず、奪い続ける「テイカー」も多数存在するので、悪いけど僕はそういう人は素通りします

(子ども以外はね。彼らは奪って当然。どんどん奪ってくれ!!)

 

今日はそんなとこにしときますね

それではまた!!