ごめんと言えない人々
夜明け前にこつこつとブログを書き始めています
徳羊舎の濵田です
久々にコヴィーさんの『7つの習慣』を学んでいきましょうか
相互依存のパラダイム p.329~370
主な6つの預け入れ p.341~359
引き出してしまったときは心から謝る
「引き出す」ってのは「信頼口座」から引き出すってことですね
逆は「預け入れ」、信頼・信用を貯蓄すること
基本的に(例外もある)僕は「謝れない人」を信用しません
ごめんごめんばっかり言ってるのもそれはそれで違うんだけど
逆に「下の立場の人」にも謝ることができる人には「敬意」を覚えます
ただ、謝っちゃいけないケースもあるんですよね
僕の師匠はドイツに留学してたんですが、ドイツ語では「ごめんなさい」にあたる二つの表現があります
「エストゥートゥミアライト」
「イッヒエントシュルディゲ」
見ず知らずの人、親しくない人と何か「トラブル」が起こった際には、「イッヒエントシュルディゲ」は使ってはいけない
これは「私が悪かった」と言う意味合い
訴訟とかに発展し得るんです
「あんたあの時謝ったよね、責任認めたよね、自分が悪いって認めたよね」となる
一方、「エストゥートゥミアライト」は「それは残念です」と言う意味合いです
つまり、こちらは自分の「責任を回避」できる言葉です
場合によるけど、やっぱり悪くもないのに謝っちゃいけない
そんなときは「残念です」という言葉を使うのもいいかもですね
弱い人ほど心から謝れない
自分が本当に間違いを犯してしまった時、自分自身に対してそれを認めるのは精神に相当な負荷がかかることになります
ましてや謝るなんて本当に辛い
(僕は全然平気ですが、後々けっこうこたえる)
だから「強靭な人格」がないと心から謝ることはできない
僕の友達には「謝れないやつ」ってすごく少ないです
ちょっとはいますけど
ただ大人になってみて、世の中って実は「謝れないやつの方が多いのでは?」と思うようになりました
そもそも謝れない以前に、ほとんどの人は「自分に都合の悪い情報」を脳にインプットする時点で、その情報を「自分に都合のいいように変換」しています
ある種の「防衛本能」ですね
僕にも全くないわけではない
でも後で気づいて謝ることもあります
やっぱきついですよ
二日くらいしんどかったりする
あくまで僕の印象ですが、多くの場合「謝れない人々」に共通することは「幼少期に強いストレス環境」に置かれていたということです
つまり「謝ったら食い物にされる世界」に生きていた
そこで脳は人格が破綻しないように、情報のインプットを変換するようになる
「自分は悪くない」方向にインプットを歪める
心理学でいうところの「認知の歪み」ですね
謝れない人には謝れない理由がある
指摘したり責めたりしたら余計態度を硬化させます
たぶん、その人が謝れるようになるには「安心すること」、そしてその安心できる環境・人間関係の中で「しなやかで強い人格」を形成することが必要になります
あと「脳の癖」が変わるには相当な時間が必要
たぶん人生でただ一回の土下座
うちに遊びに来ている高校生の一人に、本当にひどいことをしちゃったことがあるんですよ
最初の内は「そんなに怒んなよ」と思ってましたが、まあ一応大人なんで自分がとんでもなくひどいことをしてしまったことが分かってきました
土下座して謝りました
五分くらい
逆にそいつは二回僕をブチ切れさせたことがあります
絶対に容認できない言葉をそいつは発しました
友達だったらぶっ飛ばすか絶縁するかっていうレベルです
それに対して一回目は「オレは先生を試したんですよ」
二回目は「冗談じゃないすか」
とごまかして逃げました
もう絶望的に謝れないんです
でもそれは当然のこと
それだけしんどい世界で生きて来たんだから
謝ることが許されないくらい
よく頑張って生き残ってくれたよね
本当の意味で謝ることができるのは成熟した人格を持つ人
三十か四十歳くらいまでに一応の「大人」になれればいいんじゃないかな
謝れないままでいつまでも通用すると思ってるとしたら、それは甘えでしかないよね
大人を自認するならば
ほんじゃまた!!