ダサいダサいも好きのうち

徳羊舎の濵田です

 

かつて東京の大学に通ってました

友達もできまして、その中でこんなやつらが三人いました

「人のファッションにダメ出しするくせに自分は超ダサい」

 

秋田(濵田の故郷)の人はそもそも人の服にあまり口を出しません

上京した人たちも、人が多すぎて他人の格好に口出しする発想がない感じがしました

 

ダメ出しマン三人のうち二人は「東京出身」

江戸っ子でした

意外じゃないですか?

(むろん、彼らは江戸っ子の一部であって皆がそうなわけでは全くないでしょう)

身だしなみ思考(他者目線)

彼らにとって「服」とはどうも「身だしなみ」を意味したようです

「その色の組み合わせはないよね」とか、その他もろもろ

とにかく口を出す

 

そのくせに自分は穴空きまくった安っぽいジーパンに、メーカー不明のタートルネックとか

カーキとかネイビーのパンツに変なチェックのシャツとかとにかくダサい

 

僕も別に普段「こいつダサいな~」とか全然思わないんですよ

興味ないですし、口出すことじゃないと思ってるし

ただ、「それはなくない??」とダサいやつに言われるて、ふとそいつの格好を見ると、「それ、お前が言う…?」と思ったりしてました

 

要するに彼らにとって、ファッションにおいて最も大切なことは「無難であり、身の丈に合っている」ことだったようです

僕もスーツなんかについては「身の丈に合ってるか」を確かに気にします

 

とすると、彼らは身の丈に合っていない、あるいは挑戦的過ぎた僕のファッションに対して、「それだと社会で苦労するよ」と愛をもって語ってくれていたのかもしれません

確かに、人の服に口を出すこと以外は実に気のいいやつらでした

偏愛思考(自己目線)

僕は完全にこれですね

とにかく好きな服を好きなように着る

色も組み合わせも自分的にオッケーだったらなんでも良し

ハイブリット

おしゃれな人のことですね

どっちもできる

つまり、セオリー、色の組み合わせ、身の丈等基本を抑えながら、セオリーを破ってエレガンスを醸し出すこともできつつ、やはり自分の好きなものを大事にする

トレンドも一応は押さえている

防御思考と作品思考

身だしなみ思考の人は、基本的に服を「身を守るもの」として認識してるのかなと思います(防御思考)

 

偏愛思考の人はとにかく好きなものを着ていれば満足

作品思考までは行かない

偏愛思考が進化したので作品思考で、もう自分の格好全体を「一つの作品」として捉えて、これを創作すること楽しむ

 

ハイブリットの人はきちんと守りもできて、その気になれば攻めに転じることもできる

というか攻めに転じたときが楽しい

劣化版

防御思考が劣化すると、「無難な格好」ではなくて、「人から見て格好いいと思われるであろう格好」をするようになると

ファッション雑誌をチェックし、流行を追いかけ、自分の「好き」が薄い

一番つまらないパターンだと思います

人の服に口出しするし

 

うちに来てる高校生たちも結構はっきり分かれています

流行ばかり追いかけて自分がなく、人のファッションに口を出す子

ひたすら自分のお気に入りしか着ないが、美意識のはっきりしている子

など

 

互いに、

「お前の格好マジでないよな」(流行追っかけてるやつ)

「お前流行り追っかけてばっかで人間としてダサいねん」(美意識はあるけどおしゃれする気がないやつ)

他の分野を考えてみる

考えてみると他の分野でも、僕の場合似た傾向が見られるんですよ

 

僕は偏愛思考でたまに作品思考

例えば僕がYoutubeの動画作るとしますよね

その時は動画を「作品」とは考えていないんです

むしろ「メディア」(情報伝達)の手段と無意識にとらえています

僕(と高校生たち)の「偏愛」を情報として伝達するわけです

 

「作品」という意識がないので、大して作り込まない、編集も適当

「偏愛」が伝わればいいからです

ただ、多くの人に届けたいのであれば、動画を作品と捉えて「強度」を上げる必要がありますよね

もう、自分たちで企画から入念に練って「この動画はやばいっしょ!!」というところまで作り込む

それもまた楽しいかも

(まあ時間的にほぼ無理ですが、資金が潤沢にあればできます)

仕事との関連で

基本的に僕の仕事は「作りっぱなし」が多いなあと最近思います

「偏愛と本質」は内容に盛り込んでいるから良しとしている

「分かる人には分かるだろう」くらいで

 

ただ、自分の仕事を「作品」として捉えると、愛着がありますからしっかり仕上げて世に旅立たせてあげたいと思うでしょう

人の手に届かなかったら、自分の愛する作品に申し訳ないですもんね

だって偏愛してるわけですから

 

着想、企画、創作、マーケティング、使われ方と人の気持ちとかまでトータルに設計するのが、「作品・商品を届ける」ということなのかもしれませんね

広く認知されるためというよりも、自分の偏愛が生んだ子ども(作品・商品)をちゃんと教育して、たくましく育てて巣立たせたいという親心でしょうか

 

まだまだですが、そろそろそんな仕事をしないとなあとか考えています

それではまた来週!!