損得にも色々あるしそもそも気にしない人もいる

徳羊舎の濵田です

 

『セイラ―教授の行動経済学入門』(リチャード・セイラ―著)、学んでいきましょうか

 

※前回のブログは↓

tokuyosha.hatenablog.com

振り返りましょう

前回出てきた重要な言葉は以下の通り

すなわち、人々は相手方が自分を利用していることに気付くまで協調し続ける傾向がある

(『セイラ―教授の行動経済学入門』、リチャード・セイラ―著、ダイヤモンド社、2017年、26頁)

協調ありきの者は他人からの協調を上手く引き出すほか、他の協調者にやり取りしてみようという気を起こさせて、いい結果を得る。

(『セイラ―教授の行動経済学入門』、リチャード・セイラ―著、ダイヤモンド社、2017年、26頁)

長期的に見ると、協調ありきのスタンスの人が最も多く収益を得ることが実験で明らかになりました

 

では、人々はそれが最も利益を得るために合理的な方法だからそうしているのか

それとも、「何となく」なのか?

 

もちろん、両方いるでしょう

問題は古い経済学が想定するより、「何となくの人が多い」ということです

つまり、彼らは別に最大の利益が出せるから「協調路線」を取っているわけではないということです

ではなぜ彼らは協調路線を自然と取るのか

それが行動経済学の関心事となります

純粋利他主義

ここでセイラ―さんはアダム・スミスの『道徳感情論』の言葉を引用しています

「人はどんなに利己的であるとしても、他の人々の運命に関心を抱き、彼らが幸せであることを必要とする生まれついての性質があるのは明白である。他人の幸せな姿を見る喜び以外、それによって何ら利を得ることがないにもかかわらず、そうなのだ。」

(『セイラ―教授の行動経済学入門』、リチャード・セイラ―著、ダイヤモンド社、2017年、27頁)

この人間の性質をある学者は、「純粋利他主義」と名付けました

 

つまり、例えば公共財に出資するとき、

「皆の利益になるならば」という心理が一定数の人に働くということです

 

まあ、本人がやりたくてやっていることなので、突き詰めるとある意味「利己主義」とも言えますがそれは置いておきましょう

ともかく、「何となく協調路線」を取る人たちには、一定の割合で「純粋利他主義」が働いていると考えられるということです

間接的利他主義

この辺が面白いところだと思います

「『正しい』(良い、立派な)ことをすること」は、多くの人にとって明らかな動機となる。ときには『間接的利他主義』と呼ばれることもあるこの動機は、良心を満足させる、あるいは倫理的な義務感を満足させるものと説明される。」

 (『セイラ―教授の行動経済学入門』、リチャード・セイラ―著、ダイヤモンド社、2017年、28頁)

 つまり、仮に多少損失を出したとしても、

良心の満足という精神的な報酬」があるので実は「正しいことをするのはリスクが少ない」のです

 

日本には「寄付」の文化があまり根付いていないようです

最近は多少なされるようになりましたが

 

寄付でもチャリティーイベントでも、他のプロジェクトでも、投資とか融資をお願いするときに「間接的利他主義」は計算に入れてもいいですよね

つまり、「人は意外と金銭的損得とは別のところでも動く」

「良心の満足」がちゃんと支払われる設計になっているなら、寄付はしやすくなるでしょう

間接的利他主義をもう少し掘り下げてみる

ここからはセイラ―さんが書いていないことです

(少なくとも今日の該当箇所では)

 

例えば寄付とか公共財への出資

これを積極的にするのって「良心の満足」だけじゃないと思うんです

(税金対策の話は置いておきますね)

 

一つは「リスク管理」(リスクヘッジ)の問題があると思います

寄付の文化が根付いていない日本ではピンとこないけど、欧米なんかでは、

富を社会に還元しない金持ちは危険」だそうです

つまり、「義賊」(ルパン…)みたいな人に狙われたり、家族が危険な目に遭ったり

 

だから、「正しいと思われること」をすること、それにお金を使うことで、

社会的安全性」が得られる、あるいは買えるということですね

見栄もあるよね…

後は「正しいことをする人と思われたい」という下心から寄付をする人もいるでしょうね

こちらも「社会的な評価」を得ているので単に慈善行為をしているわけではない

例えば

僕が寄付を集めるとしましょう

 

まず、社会的貢献性の高い事業であれば、「純粋利他主義」で動く人が寄付をする気になる率は高いと予想できる

「間接的利他主義」の人たちもある程度は同様

 

あとは「間接的利他主義」の中で、主に見栄で動く人たち

寄付者の名前を公開するんだったらしてくれるかもしれませんね

あと、事業が世間的に知られていることも重要なので、ある程度事業が世間的に認知されることも必要になってくるとか

 

さらに数字の面で言えば、この「寄付」を「社会という公共財」への共同出資だと考えてみます

まず、儲けなしでも動く(主に)「純粋利他主義」の人がいます

お金でなくても「精神・社会的報酬」で動く「間接的利他主義」の人もいる

そして、1.5倍程度のリターンがある場合は、多くの人は出資限界額の40~60%を拠出することが実験で確かめられている

 

主催者への信頼が大きい場合、ブランドに定評がある場合、このパーセンテージはさらに上がるでしょう

あと、寄付額に対して1.5倍以上の価値のある返礼品、「精神的価値」のあるものを用意出来たら理想的ですが…

(まあこれはきついか)

 

ともかく、寄付を募るにしても、自分の商品・作品の価格を決定するにしても、プロジェクトを行うにしても、

純粋利他主義と間接的利他主義」を計算に含めてあらかじめそろばんをはじいてみたら楽しそうですよね

(リスクの比較的少ない事業なら)外れても全然いいと思います

予測をしておけば、「ここはこうはずれた」という現場のデータが取れるので

 

あと、自分の「お金の使い方」も「純粋利他主義と間接的利他主義」の観点から決めてみることもできますよね

これは単に自分がやりたいだけなので(主に)「純粋利他主義」で損得関係なく行こうとか

ここは「間接的利他主義」で自分の精神的満足が得られるか、社会的なステータスが得られるかなんかを金額に換算して、お金をどのくらい出すか決めてみるとか

 

今日はそんなところにしておきます

まとめると、

「人は損得だけで動いていないし、損得にも見える財産(お金、土地等)以外に精神財産がある」ということでしょうか

 

それではまた!!